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1.はじめに

神経型システムとは,神経細胞の作る回路網を簡略化あるいは抽象化してモデル化したシステム(つまり神経回路モデル,ニューラルネットワーク)のことです.そして記憶情報処理とは,記憶の蓄積と再生(引き出し)に関連する情報処理を意味しています.

記憶情報処理といえば真っ先に思い浮かぶのはコンピューターです.ROMやRAMに書かれている,あるいは書き込むべき記憶をさまざまに操作することで情報処理を進めています.そして次に思い浮かぶのは“ひと”です.ただ,情報処理と書かれてしまうと“ひと”という印象と結びにくいと感じるひとも多いかもしれませんが,僕たちの取り組んでいる研究の前提(作業仮説)はある意味で“ひと”の機械化です.機械化した“ひと”がどの程度のことができるのかを突き詰めることで“ひと”を理解し,あるいは“ひと”を超えようとしているのです.(ところで,日常用語で機械的というと,おきまりの手続きで融通が利かないという意味ですが,現代にはそぐわない用法に思えます.さまざまな複雑な状況に応じて的確に処理を進めることのできるさま,を意味する方向に改めてゆくべきではないでしょうか?)

コンピューターについて,あるいはコンピューターを用いて記憶がどう処理されるかについて,専門に研究する人々はコンピューター科学者,あるいは人工知能研究者であり,ひとの記憶について実験や理論を用いて研究する人々は認知科学者(あるいは心理学者)ですが,僕の立場はその両方にからむという位置づけです.効率的な計算(情報処理)をするためのモデルを作るのか,ひとの情報処理を理解するためにモデルを作るのか,に応じて,コンピューター科学者と認知科学者は区別されるでしょう.

神経型システムによる記憶の情報処理を調べるためには,まず仮説をたてます.つまり,モデルを作るのです.ところで,古典的な科学の領域(物理学や化学など)でモデルといえば,実験事実を説明(予言)するために作られた数理的原理であり,その妥当性は実験によってのみ判定されるべきものです.一方,ここでいうモデルは,それとはかなり程度が違います.つまり,実験による検証と比較するにはあまりにも素朴な(突飛な)段階ですから,実験との比較は概略的解釈以上に踏み込むと返って疑わしくなるという段階です.ですから,ここでいうモデルはむしろ現実の神経システムとは切り離して,抽象的な意味での「神経的」システムだと思っておいた方がいいかもしれません;ですから神経“型”システムと表現しています.僕はこの手の研究手法を称して普段,「大胆にかつ繊細に」取り組む研究と言っています.それは,仮説は大胆に立てるが,議論は繊細に(というのはつまり科学的にということ)行なうという考え方に基づいています.

ここで言う神経型システムとは,飽くまでも回路網の水準の話です.神経細胞結合部の,電気や化学物質に対する感受性や,イオンの出入りなどに関する段階では,現象に密接な(精密な)モデルが作られていますから,実験との比較ができる段階にあります.細胞水準と回路網水準ではモデル化の精密さの程度に大きな開きがあるということです.


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